オーナーのステレオ日記

日記1:2015年 6月25日 - デジタル時代におけるオーディオ再生について
日記2:2015年 6月 26日 - なかなか終わらない
日記3:2015年 7月 2日 - とても爽やかな曲・シューベルト交響曲第9番『ザ・グレート』
日記4:2015年 7月 20日 - カラヤンとリヒァルト・シュトラウスの『英雄の生涯』
日記5:2015年 8月 12日 - 私の“必要にして十分な音”
日記6:2015年 8月 28日 - ベートーベンの言葉
日記7:2015年 9月25日 - 最後の一音
日記8:2015年11月14日 - 衝撃なデュプレの演奏とオーディオシステムの備忘録
日記9:2020年9月10日 - 改めてワルターの演奏を聴く〜その新鮮な感動に浸る〜
日記10: 2021年 1月 29日 - ブルックナー交響曲第4番「ロマンティック」を聴いて
日記11:2021年 3月22日 - ワーグナー[パルシファル」の大迫力!
日記12:2021年 8月1日 - メンデルスゾーン「真夏の夜の夢」の愉しさ


2015年 6月 25日 デジタル時代におけるオーディオ再生について

周知のごとくCDデジタル音はパルス波形である。

音のぬくもり、滑らかさなどに影響する微細な信号はそぎ落とされる懸念がある。また音の豊かさをもたらす量感は波形の総面積なのでサイン波に比べ少なく聴こえてしまう。

低音や楽器の母音は音圧はあっても痩せて聞こえ耳に敏感な中高音はより鋭く聞こえてしまう。このためクラシック音楽を臨場感豊かに聴くには周波数特性をフラットよりも低域を上げ、音の豊かさを感じるようにした方が良いと思う。私の場合は30〜40ヘルツがピークになっておりそしてCD音のばらつきを包み聴きやすくするために高音部は抑え気味にしている。これらにより長時間聴いていても全く聴き疲れしない。(ネット参考。フレチャー&マンソン効果)

仕事上私は何時も生音と接していてフルコンピアノ、弦楽器、管楽器の音は心に染み付いている。このため再生も可能な限り生音質を求めてしまう。

私は生音は限りなく透明で、温かくそして力強いと捉えている。再生音はこの3要素のどれが欠けても断片的に聴こえてしまう。また総じてオーディオはリスナーの感性、再生装置、リスニングルームの三位一体の賜物と思っている。

音、音楽はその人の感性で受け止め感性で表す。そのためその人の感性以上の音楽は出てこない。これは演奏家がその人の感性以上は表現できないのと同じである。

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2015年 6月 26日 なかなか終わらない

マーラーの交響曲第一番『巨人』は、私は、最も愛するワルター版で聴いている。

彼が28歳で仕上げたこの作品は、全編に渡ってとても爽やかで、青春の歌と言われる。
これからクラシック音楽を聴き始める人たちにお勧めしたい作品だ。

第1楽章の朝もやに包まれた森の情景、その凛とした朝の空気、朝を迎える歓びのさまざまなざわめき、小鳥達のさえずり、そして大太鼓の合図とともに天上が開け、低音弦が表す朝日を浴びた巨人がむっくり起き上がる様、そして歓びにに包まれる。この楽章の物語を、私はこのように感じ取っている。

面白いのは3楽章のコントラバスのソロ。葬送の行進だが、これをグリッサンドで極端にうなだれた表現にしたワルターの表現を多くの楽団が真似をしていようだ。

そして終楽章、中ほどで盛り上がってそろそろ終わり、と思いきや第1楽章の森の音楽が出てくる。回想だそうだがとても長く感じる。20代で聴いた時なかなか終わらないと思ったが、今聴いても同じように思う。全体で51分、4楽章のみで20分ほどである。ちなみに曲想は異なるが、同じような曲の流れのショスタコーヴィッチ第5の4楽章は約10分30秒ほどで、比べると程よい長さに感じてしまう。微に入り細を穿つがごとくのマーラーの感性は、計り知れない異次元の世界なのだろう。

ところで、音楽を聴こうとする時、私は、CDに付随される解説書をあまり読まないようにしている。
過去に聴いた自分のその曲に対する印象と、解説書に示される印象とに違和感を感じたことがあったからだ。

例えば、この曲も、著名な音楽評論家が解説しているようだが、私が最もキーポイントと考える、巨人の起き上がる情景の部分が見受けられない。

再生装置のレンジが広くかつ透明であれば、随所にでてくるごく弱い大太鼓やヴァイオリンのトレモロ含め、これらが全て再生されることで、マーラーの描く音楽の空間が浮かび上がって来ると考えている。
解説者がどのようにこの曲を聴かれたのか気になるところだ。


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2015年 7月 2日 とても爽やかな曲・シューベルト交響曲第9番『ザ・グレート』

亡くなる1年前の作品というのにとても明るく爽やかな交響曲。曲全体にわたって軽快なリズムに乗って明るい旋律が次々と出てくる。
未完成交響曲のような静穏さは感じないがロマンに満ちた純粋さは共通しているようだ。
いつも聴いていて心がほほ笑む。
ワルターはこの曲を肥大化せずにとても爽やかに演奏している。
これほど愛らしく歌い上げている演奏が他にあるだろうか。52分という曲の長さを感じるこはなく、また幾度聴いても聴き飽きることがない。
この演奏は56年前の初期のステレオ録音をCD化したものだが最近のCDと比べても劣るどころかその力強さ、臨場感においては断然勝っている。
あの2トラ38の音質に近いのだ。比べると最近の録音は枝葉末節なところがあるのではと疑ってしまう。


私は交響曲は生演奏よりもステレオ装置で聴いた方が楽しい。
なにしろ聴く自由度が大きく、完成された演奏は安心して聴け、そしてより深く音楽を鑑賞することができる。


この素晴らしい曲に対して冗長であるとの声を聞く。
そう揶揄する諸兄の再生装置は、そのグレートな交響曲を再生するのに果たして十分なのであろうか。

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2015年 7月 20日 カラヤンとリヒァルト・シュトラウスの『英雄の生涯』

R・シュトラウス交響詩『英雄の生涯』を長い間カラヤンの演奏で聴いてきた。
カラヤンはこの曲で自身の栄華を極めた人生を鮮やかに映し出している。
ベームの演奏も耳に入らないほど私はこの壮大な演奏に惹き込まれた。
その後R・シュトラウス自身の指揮のCDを入手し、初めて聴いた時、カラヤンが作曲者を越えてしまったとも思った。
3部の終盤のここぞとばかりの盛り上がり、ゆったりと優雅に流れる旋律、そしてとどめの大太鼓の強打など、誇張ではあろうがとても感動的である。
しかし何度か両者の聴き比べをしてみると、カラヤンの情景描写的な演奏に対しR・シュトラウスの克明で端正な演奏はモノラル録音にもかかわらず鮮明で分かりやすい。そして全体にシュトラウス自身の内面と妻への愛情を表現しているかのようである。
最後の天国のような美しいシーンは、まだ周りを気にしている夫に対し“お疲れさん、もう充分だからゆっくりお休みなさい”と妻にいだかれているかのようである。
わが身の人生とも重ねて聴くと胸が熱くなってくる。

R・シュトラウスが結婚4年後の34歳での作曲。若くして人生を極めたとも言える名曲である。
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2015年 8月 12日 私の“必要にして十分な音”

若い頃から、自分の部屋に“ウィーンフィルを招きたい”という想いでオーディオに取り組んできた。シンフォニーが楽しく聴くことが出来れば装置は何でも良かった。オーディオはこのための単なる手段に過ぎない。今でもこの考えは変わっていない。
今まで数多くのオーディオシステムを聴いてきたが自分を納得させる装置に出会ったことはなかった。
自然な音質で臨場感があり交響曲が楽しく聴ければよい。ただそれだけなのだが・・。

今はTADを中心としたホーンシステムで音楽を聴いている。
ホーンシステムは間接型SPであり忠実度では直接型には劣るかもしれないが伸びやかな、開放的なサウンドが心地よく、私はこのサウンドが好きだ。
以前は生のような音を求め血道を上げ七転八倒の時もあった。しかし
生の音を知れば知るほどその深遠さに気づきこれ以上の音の追求を諦め、ピリオドを打つことにした。大掛かりに見える装置だが至ってシンプルで固定式であるためボリューム以外は調整不可能である。ここ十数年この状態で日々音楽を楽しんでいる。
日常の手入れは各接点の掃除、銅版を埋め込んだアースへの水やりそしてCDの清掃、静電気除去等で、これらによりいつも安定した音質を得ている。

音質のバラツキの大きいCDで分け隔てなく音楽を楽しむのは至難の業である。
日々より良い音への改良に努めるのは然りだが“車のハンドルの遊び”の如く、音に余裕を持たせ音楽を聴きやすくするのが肝要である。
このようにして築いた私のオーディオシステムは生音とはほど遠い音ではあるが私が音楽を楽しむには必要にして十分な音であると思っている。


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2015年 8月 28日 べートーベンの言葉

ウィーン郊外のハイリゲンシュタットに在るベートーベンハウスを訪れたときのことである。
その清楚な佇まいの家の中でベートーベンのデスマスクに対面した時、全く無垢な気持になれた。また壁で囲まれた何も無い小さな芝庭には幼い子供が遊んでいた。そしてベートーベンの散歩道をも歩いた。しばし“かってベートーベンが此処にいた”という想いに浸った。その後ベートーベンの音楽を聴くと、度々この思い出が蘇えってくる。

運命シンフォニーからはじまった私の音楽ライフは、今まで多くの音楽を聴いてきたがやはりベートーベンが根幹をなしている。
しかし宗教曲ではほぼ同年齢で作曲されたバッハ/ミサ曲ロ短調とベートーベン/ミサ・ソレムニスを続けて聴き比べしたがバッハのほうがより深淵であると思った。
ベートーベンのことを次のように述べている記事があった。・・・燃えるような正義感に根ざした厳しい道徳性を、彼ほど音楽に一貫させた芸術家は、前にも後にも見出す事はできないであろう。彼が尊敬したJ・S・バッハやモーツァルトさえも、この点では及ばないのである。・・・と。
長く音楽を聴いてきて私もそう思う。

検診を受ける日の朝、目覚めてから心の置き場が無いほど不安に駆られていた。出掛けるまで2時間ほどあったのでベートーベンのピアノ協奏曲第三番とブラームス交響曲第三番を通して聴いた。この時わが装置はいつもよりとても温かいサウンドを奏でてくれた。そして音楽に満たされ、気持が豊かになり、楽な気持ちで検査に臨むことが出来た。
次のようなベートーベンの言葉がある。
“音楽は,あらゆる知恵、あらゆる哲学よりいっそう高度の啓示である・・・・私の音楽の意味を見抜くことができた人は、ほかの人々がそこで這いまわっているあらゆる悲惨から脱け出るであろう。”
この日はこの言葉を実感できた一日であった。

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2015年 9月 25日 最後の一音

26年前、当ホールで漆原啓子ヴァイオリンリサイタルが開催された。
このとき演奏されたドボルザークの4つのロマンティックな小品作品75の第4曲ラルゲットは大変感傷的な旋律に包まれているが最後の1音が途中から明るい和音で消えてゆく。 心がほっとする瞬間であり、再生装置が試される部分でもある。
またフォーレのレクイエムのアニュウスデイも最後は明るい和音に変わり転調しているのが分かるがモーツァルト「レクイエム ニ短調 K・626」は転調せずに曲想を僅かに変えているのに気がついた。

演奏はカールベーム指揮ウイーンフィル、1971年ムジークフェラインザールでの録音。CDはPOCG-7009。

Tr1のモーツァルト自身の作曲のセクエンツィアの終わりは悲愴感から次第に抜け出し、オルガンを伴った壮大な最後の全音符の一音は僅かに明るさをも感じ、吹き抜けるような爽やかなハーモニーで、そこには悲愴感は感じられない。一方Tr12の作曲を受け継いだジェススマイヤーのこの曲の最後の一音は僅かに悲愴感が感じ取れる。
この違いを音楽家でもある娘に聴いてもらいスコアを調べてもらった。

その結果2ndバセットホルンがモーツァルトのラから上のミに変わり、それにトロンボーンが加わりこれ以外は全く同じである。これらにより重厚感が増し悲愴感が感じ取れ たのではないかと思っている。
ジェスマイヤーはモーツァルトの死を悼み、より大きなスケールのエンディングにし、より悲愴感に包まれた最後の一音にしたかったのではないかと思っている。

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2015年 11月 14日 衝撃なデュプレの演奏とオーディオシステムの備忘録

デュプレのエルガー・チェロコンチェルトを聴いていて感じることである。
好きな曲の一つで、わが装置のリファレンスにもなっており時おり聴いている。
このCD〔TOCE11425〕は15年前に入手した。以前聴いた時の印象よりも、長い年月をかけこつこつと装置の改良を施した現在は音場の透明感が増し、1音1音の粒だちが明瞭であり、“デュプレが此処まで情感をこめて演奏しているのか”のような衝撃を受ける。20歳での録音らしいがこれ以上の演奏が果たして未来永劫あり得るのか。私より1年後に生まれ、42歳の若さで彗星のように去ってしまった彼女の人生を思うと深く感慨にひたる。彼女が作り上げた世界をより再現するためにも、より良い音への再生装置の改良が大切であると考える。

私はオーディオ再生において如何なる法則も無いと思っている。アナログとデジタル、球か石か、スピーカーの種類、その他リスナーが自分の好きな音を育て、音楽が楽しく聴ければそれで良いと思う。唯一断言できるのは、信号を通せば如何なるパーツでも必ず音質は劣化する故、可能な限りシンプルにし、そして接点を減らすということである。
リスナーがそれなりの感性を備え装置の改良に勤めれば、必ずミューズの女神がほほ笑んでくれると思っている。

備忘録として現在の装置を記す。
低音TAD1601b(ショートホーン付き)、高音TAD4001(円形ストレートホーンcutoff150hz)で殆どの再生を賄っている。これにハートレーの超低音、ツイーターその他を加え、より豊かな音場を再生している。
そして出来る限りネットワークやチャンネルフィルターを介さないシングルスピーカーに近づける努力をしてきた。
TAD1601は1000hzを越えたところに雑音(分割振動)があるのでLRで6dbで落としている。TAD4001はcut off150hzホーンで400hzから十分な音圧を得ている。
双方優れたF特を示しており、クルトミュラーコーン紙は透明感に優れ、またベリリウム振動版と良くあっているようだ。この母音と子音が溶け合わないと1つの楽音は生まれない。
中高音は音質の要であり、真鍮製ホーンとベリリウム振動版には音に輝きと艶がありとても満足している。また全方位に拡がっている大型ホーンは音に広大な開放感がある。
LRディバイダーは始めは485hzにした。
特性的には音が綺麗で、音圧も十分で素晴らしいと思えたが、うすっぺらい写真のようで、日頃耳にしている楽器の実在感や空気感が不足している。
その後改良し、TAD1601はL0.18μF, R1kΩ TAD4001はL0・12μF、R1.2kΩ(直、パラ共)にたどり着き豊かなサウンドとなった。計算式159/LRでハイカット883hz/6db, ローカット552hz/6dbとなっている。

すべて生音との比較を耳で行い機器による測定は行なっていない。
そして多くの改良を加えた結果、現在はシンフォニーを聴くのに十分な音質と臨場感を得ることが出来たと思っている。

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2020年 9月 10日 改めてワルターの演奏を聴く〜その新鮮な感動に浸る〜

今日ベーム/ウィンフィルでブラームス交響曲第3、第4を聴いていたら、ふとワルター版で聴いてみたくなった。 学生時代に身を焦がして聴いていたワルター指揮のベートーベン「英雄交響曲」:ブラームス「交響曲第4番」等を聴いた。

以前、学生時代に通い続けた街のステレオホールでこれらの曲を聴いた音楽の感動が今でも記憶に残っている。 この度、わが装置で聴いたこれらの曲はより迫力に溢れ鮮明で、より深い音楽の感動を与えてくれた。50年以上に亘り築き上げてきたオーディオ装置の成果であり多くの辛苦を経て成しえたことに感慨無量である。

現在は多種多様なCDを聴いているが改めてエネルギー感、臨場感ではワルター版[35DC77]を凌ぐのを聴いたことがない。

是非、多くの方々にこの感動を味わって欲しいと心から思った。

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2021年 1月 29日 ブルックナー交響曲第4番「ロマンティック」を聴いて

いま世界中がコロナウイルスパンデミックに侵されているなか日々ステレオ音楽を聴いて癒されている。

こんな時、特にブルックナー「ロマンティック交響曲」を聴いていると、その温かく寛大な音楽の世界に包まれ心が満たされる。

カールベーム/ウィンフィルの演奏は白眉で、この曲の温かさ、優美さを余すところなく表現している。聴いているうちに心が満たされ高揚感に包まれる。何という素晴らしい音楽そして演奏であろうか。。。

ブルックナーの交響曲はいままで第9、第8、第7、第3と聴き込んできたがこのところ第4番に最も惹かれている。他と聞き比べると曲想が穏やかで幸福感に溢れていてダイナミックである。マーラーやワグナーには無い世界である。

この音楽の存在が私の人生の宝物とさえ思えてくる。、来月喜寿を迎える。いつまでもこの状態でこの曲が聴けていけたらと願っている。

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2021年 3月22日 ワーグナー[パルシファル」の大迫力!

相変わらず埒の明かないコロナ禍で聴くシンフォニーは、パルシファル、悲愴交響曲、ベルディ「レクイエム」、マーラー「復活」等々、大迫力版が多い。

このうち、ワグナー[パルシファル」抜粋はウイルスを吹き飛ばすがごとくの大迫力で、聴き終えるととても気分爽快になる。

私が聴いたCDは35DC113からワーグナー;楽劇[パルシファル」前奏曲と聖金曜日の音楽(22;46)。
ブルーノワルター・コロンビア交響楽団。
CD版であるが2トラ38テープに匹敵するエネルギー感溢れる素晴らしい録音である。

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2021年 8月 1日 メンデルスゾーン「真夏の夜の夢」の愉しさ

このところメンデルスゾーンのシンフォニーを主に聴き込んでいる。その緻密で複雑なハーモニーはオーディオ再生が困難で、今まで再生に悩まされてきた。

今はこれらの曲が楽しく聴けているのは長年の再生装置の調整が実を結んだものと思っている。

特に幻想的な「真夏の夜の夢」はいまの30度を超える暑さ、コロナウイルスに侵されている状況下でも別世界に誘ってくれ、癒してくれる。[真夏の夜の夢]のCDはセットしっ放しで何度も毎日のように聴き続けている。

私の愛聴盤はネヴィルマリナー指揮フィルハーモニア管弦楽団32cd-30で、聴いていてあたかも絵画の世界に誘ってくれるようだ。



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TEL0276−48−5566 音楽サロン・シャコンヌ

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